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雑記

はじめましての方は初めまして。

違う記事から来た方はいつもありがとうございます。

qwertです。

6/1
新木場STUDIO COASTにwowakaさんの追悼式に行ってきた。
と言っても、献花と写真展だけ。あらためてもう戻っていこないことを感じた。

新木場は初めて訪れた。
最寄りの駅を降りると同じ目的の人がある程度の集団となって移動しており、その波についていくように歩いた。 海が近いのか少し潮風を感じた。 5分ほど歩いた、現実味を帯びる喪失感に心を震わせながら。見えてきた新木場コーストの看板には『THANK YOU WOWAKA』の文字。愛を感じた。

次に目に入ったのは長蛇の列だった。物販の行列だ。
4月以降のツアーで買えなかった人が並んでいるのだろう。qwertは3月の公演に参戦できたので、欲しいグッズは入手済みだった。4人のヒトリエで『コヨーテハウリング』を聞けた 数少ない人間の一人だ。 wowakaさんの生声で『sleep walk』を聞けた数少ない人間の一人だ。
自慢できる幸せの一つ。

まず、献花に向かった。列はなかった。
場内はHowlの曲が流れていた。菊の花をスタッフから受け取り 献花台の前に立った。
飾られた写真は、儚くもくしゃりと微笑んだ姿で、「なんでこの人が亡くならなければならないのか?」と心底思った。緊張してうまく想いを伝えられなかった。それでも、願いは言った。
特に時間の制限はされていなかったが、1分ほどしか立てなかった。悲しみしか溢れてこない。
みんな同じだったのかもしれない。

続いて写真展に行った。こちらには列があった。
どうやら自由に出入りできるものではなく、喪服を着たスタッフが感情何の人数を整備しているようだ。1時間ほど並んで中に入った。入るころには列の長さは倍くらいになっていたので、いい時間帯だったのかもしれない。写真はwowka さんだけではなく、メンバーの写真もあった。Liveでパフォーマンスしているところよりもメンバーと仲良くしているものの方が印象に残っている。楽しそうな笑顔はもう2次元にしかない。

感傷に浸りながら、一人で帰路に着いた。

wowakaさんに対して、qwertとしては感謝はないわけではなかったが、もっと別の感情が支配的だった。それが何かと言われると、端的には説明できないが。憧れであり、気づいてほしい人だった。感謝では、ここで繋がりが消えてしまう気がする 。これからも彼に影響される。それは確かにある未来だ。

wowakaさんの訃報を受けて、曲を作った。人が死んでこんなに”喪失”を感じたことがなかった。その感情とこれからをどうするか、どうにか表現したくて、伝えたくて作った。
同じ思いの人がいれば、幸いで、幸せ。

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